独身時代からの友人が、東南アジア某国での駐在生活を終え、関西へ戻ってきました。
その前は神奈川に住んでいたので、実に10年ぶりに大阪で会えることになりました。
暫く会っていなかった間に、お互い若干の(?)体型変化がありましたが、変わらず元気に笑い合えたことがすごく嬉しかったです。
彼女から聞く、某国の交通事情や国民性などは、どれも興味深くて驚くことがいっぱい!
引っ越しの時に出る、不用品の処分方法もその一つでした。
不用品でも誰かが使ってくれると思える安心感
日本に戻る際、必要のないものを結構処分してきたらしいのですが、家の前に不用品を出しておくと、あっと言う間に無くなるんだそう。
ご近所の方々がやってきて、何でもかんでも持って帰ってくれるんですって。
日本では、ゴミを処分するにもお金が掛かるようになって久しいのに、なんと羨ましいことでしょうか。
何より、「誰かが使ってくれるって思うと気が楽だった。」と話していました。
不用品を誰かがもう一度輝かせてくれる期待感
断捨離を始めると、「使わないけど捨てるには忍びない物」が結構あって、それが心の負担になるんだと気付きました。
- 可愛いと思ったけど小さすぎたバッグ
- ちょっと履いただけなのに痛くなった靴
- カタログで見たのとはイメージが違ってた服
- ネットの画面では分からなかった重い食器
- 夢中で揃えたDVD
- 旅行の雰囲気に呑まれて買ったアレコレ
ほとんどが、『ほぼ使ってないもの』と『思い入れタップリのもの』です。
この2年間、物を手放していく過程でこれらを目にする度、心がチクチクと傷みました。
そのダメージを少なくしてくれるのが「誰かに使ってもらえる」という事だったんです。
例えば娘でもいいんです。
家の中で物を回しただけですが、娘が1回でも身に着けてくれてるのを見ると、不思議と満足できました。
しかも娘の方が似合ってたりして( ;∀;)
自分には合わなかったけど、誰かがもう一度輝かせてくれる
そんな期待が生じた時に、満足感が得られるんだと感じました。
そして
満足感が得られれば、捨てるには忍びなかった物への執着は、あっさり消すことができました。
最後に
友人の話に戻りますが
気付くと、旦那さんのパンツまで持って帰ってる人がいて
後日会ったら、「Calvin Klein」と書かれたゴムの部分を切り取って、ヘアターバンとして再利用されてたんだそう。
\(^o^)/
ここまでのツワモノにはそうそう出会えませんが、大切に使ってくれていると幸せな気分になると思うし、自分もそうでありたい。
不用品を量産していた私にとって、東南アジア某国の話は、物を大切に扱うことを改めて考えさせてくれたお話でした。